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"夏カンジキに冬マグワ"

飯豊連峰山あいの集落、福島県山都町宮古地区。
この村は全34戸のうち13軒が農業のかたわら
ソバ屋を営んでいる。いずれも自宅の座敷を開放した
だけの簡素な食卓だが、その部屋があたかも
盆正月の帰省時のように客でいっぱいになる。
とりわけ週末は近隣他県から千人を超す客が訪れ、
遠く九州、北海道からもやってくる。なかには「山里の雪見酒
もオツなもの」と三メートルを超す雪道をかけつける常連
も少なくない。半分は農業をやりながらのソバ屋であれば、
営業はすべて予約制。それでも自家栽培のソバを石臼で挽き
清冽なわき水で打った正直な味に魅かれてか、
新ソバの出まわる秋から初冬にかけては一段と村は人で
あふれかえる。だが、二十年前までの宮古地区は廃村の危機
に立たされるほどの寒村だった。標高600メートル。
耕地は少なく、山仕事は激減し、かろうじて出稼ぎで生計
を維持していた。どの家も子供たちを都会に送り出し、
やがてその後を追うべく離村の準備をしていた。それがソバで
救われた。ソバで村の崩壊をくい止めることができた。
稲作に頼れない山間地宮古の人々にとってソバとは生活の糧、
日常の食だった。冠婚葬祭もソバ料理がもてなしだった。
それゆえソバ打ちが出来なければ女は嫁がつとまらぬとさえいわれた。

二十年前、村おこしの催しで女たちがたまたまソバを
振舞った。それがうけた。その意外な反響に、ならば自宅で
と、おそる 〃 ソバ屋をひらいた。一軒、また一軒と、
半農半ソバ屋が増えていった。女たちが生きるために
身につけた生活術が村を救ったのである宮古には
「夏カンジキに冬マグワ」ということわざが今も生きている。
常に先のことを考えて段取りをとっておけ、という山村生活
の心得をおしえる言葉だが夏仕事には冬に使う
カンジキを作り、冬は田畑を耕す馬鍬の手入れをしておくこと。
目先のことだけにとらわれず、その先を見すえて仕事をする
こと。そうすれば厳しい条件下でも平安でいられる。
春の山菜、秋のきのこ、木の実は冬に備えるため
に収穫するもの。半年分もの漬物を仕込むのは、
雪に閉ざされても不自由しないためのもの。
この段取りが山村生活の基本だとおしえて
くれたのは、今年八十歳になるソバ屋の主人、
石井民衛さん七年前の秋のことだった・・・・中略・・・・

石井さんのソバは、奇をてらったソバではない。また通をうならせるソバでもない。昔通りの、村人や親戚が集まった時に振舞ったソバ膳。保存しておいた山菜、きのこ、自家製のコンニャクや漬物などおかずが添えられ、天ぷらさえ、小麦のとれなかった村であれば、今でもソバ粉の衣で揚げる。・・・・中略・・・「それにしても、こんなちいさな村に十三軒もソバ屋ができて戸も倒れになりませんか」と聞いてみた。「あの頃はみんなソバで生活を立て直そう、生きる活路をひらこうと必死でした。商売の考えはなかったです。むしろ客に喜んでもらえるようにと、ソバ打ちの腕をみんなで磨きあったもんです。この村にはお互いさまが生きています。今でも自分の家が満員になると、隣のソバもうまいからと他を紹介してくれます。誰一人俺のソバが一番うまいなんて自慢しないし、人の味をけなしたりしません」と石井さん。・・・中略・・・

その宮古地区の十三軒のソバ屋に、最近になって、都会に出て行った三軒の息子たちが戻ってきて家業を継いでいるという。「まったく不思議な時代になったもんです。不況のせいもあるんでしょうが、どうもそれだけではなさそうです」と嬉しそうに村の変化を語る石井さんの目が輝く。三人の帰郷者たちは、豊かさの果てにある都市の現在に何を感じ、かつて離れたふるさとの姿にどんな可能性をみつけたのだろうか。・・・後略・・・・

(ゆうきとみお フリーライター)xerox graphication連載24より

飯豊山連峰を望む
福島と山形、新潟の3県を跨ぐ雄大で奥が深く凛とした佇まいは
簡単には寄せ付けないまさに東北一の名山である。
半農半×・・と言うブログです

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